日本で最初に金が見つかった場所とは?
わが国で最初に金が見つかったのはいつでしょうか。「続日本紀」によれば、天平21年(西暦749年)に陸奥国からはじめて黄金が献上された旨の記載があります。日本最初の産金地の中心は、陸奥国小田郡、今の宮城県遠田郡涌谷町です。涌谷町にある国史跡黄金山産金遺跡では、天平年間に建立された仏堂跡が見つかっています。そして、続日本紀によれば、陸奥国守であった百済王敬福(くだらのこにきし きょうふく)から砂金九百両(約13kg)が聖武天皇に献上されたことが示されています。
当時、奈良の都では、誰もが知っている東大寺大仏の造立が進められていました。大仏の鍍金には大量の金が必要です。しかしながら、それまでわが国では金が採掘されたことはなく、すべて輸入された金に頼っていました。それでは輸入される金でまかなえていたかというと到底無理な状況だったのです。必要な金の量が集まる見込みのないまま大仏造立事業は行われていたのです。
こうした状況の中で、国内で砂金が発見されたことに聖武天皇は大いに慶んだに違いありません。年号を「天平」から「天平感宝」へと改元したところからもそれが伝わります。九百両の献上があったこともあり、四年七ヵ月の歳月を費やして大仏は完成します。産金功労者である百済王敬福は従五位上から従三位へと大躍進。産金のあった陸奥では三年間、小田郡はなんと永世、調・庸(税)を免除されることになります。
涌谷周辺の砂金発見がなければ東大寺大仏は完成しなかった。こう考えると、そのすごさがわかりますよね。産金を慶ばれた聖武天皇の詔に応じて、当時越中国守であった大伴家持は以下の歌を万葉集に残しています。
「すめろきの みよさかえむと あずまなる みちのくやまに くがねはなさく」(万葉集巻十八 四〇九七)
この歌は、天皇の御代が繁栄するしるしとして、東国陸奥の山に黄金の花が咲きほこっていると詠んだものです。黄金山神社境内には、万葉歌碑が建立されています。当時の繁栄度合いは今ではうかがうことはできませんが、砂金にご興味がある方であれば一度は足を運んでいただきたい場所になります。
2020年9月、砂金採りの入門書の発売決定!
それに先駆け、書籍の一部内容を限定先行公開
(2020年8月まで毎週金更新)